情報弱者で就職した社畜プログラマーの末路、、、

ストーリー

どうも、コウイチです。

今回は、僕がプログラマーを夢見て就職した結果を、赤裸々にお伝えしようと思います。

 

僕は、6年間もの間プログラミング専攻の大学に通い、ごく普通のソフトウェア開発会社にプログラマーとして就職しました。

とにかく新卒で就職できなければ、人生は終わりだ

就活中は、とにかく人生脱落したくない、そんな思いでがむしゃらに就活し、とにかく内定をもらわなければと焦っていました。

 

就職氷河期、無理ゲー^^

無い内定www

 

などの自虐が友人の間で交わされるうちに、

「もうどこでもいいからプログラミングができそうな会社を!」

と、入社したのがその会社でした。

 

その当時は、仕事は趣味のようにワクワクしたりするものではなく、ストレスを抱えながら耐え忍ぶものなのだろうと、未経験ながら考えていたので、

「プログラミングがしたい」ではなく

「大好きなプログラミングなら、人とあまり話さなくてよさそうだし、好きなことなら人ともうまくやっていけるだろう」

と考えたのが決め手となりました。

 

最初はそれなりにプログラミングがやれたので、楽しいかもと思ってた

入社当初。

新人研修はプログラミング講習。

僕の得意な用語が並び、ワクワクしながらチームで作品を作り上げる工程はとても楽しかったのを覚えています。

 

しかし、新人研修を終え、晴れて僕が最初に手掛けることとなった仕事が・・・

炎上案件へのブッ込み

何といきなり、とっても炎上している案件にブっこまれたのです。

 

どんな案件だったのかというと、

要件定義(こんなシステムを作ってくれというざっくりしたやつ)を開発前に詰めておらず、

システムが完成間近になって認識の違いが浮き彫りになり、

「ん?何でこここうなってんの?最初に言ったよね?いや作り直してね?ってか納期過ぎてるけど」

とお客さんに言われ、社員をかき集めて休日返上で作業を行う、そういうことをやってました。

 

納期が過ぎているのに約束した品質のものが納品できず、お客さんがお怒りになるわけです・・・。

 

納期間際になってみんな焦りだすため、

時間に余裕があるうちにやっておきたいありとあらゆる作業、
例えば納期通りに終わるようにスケジュール管理する、だとか、
再利用しやすくメンテナンス性の高いプログラムの作成に注力する、だとか、
お客さんとの認識合わせを丁寧にやっておく、だとか。

 

そういうことをすべて放置して、

  • 行き当たりばったりのプログラム
  • あちらこちらにバグが見つかり、システムの穴をとりあえずふさぎ続ける作業ばかりして、やればやるほどバグが増え、いつまでたってもリリースできない。

 

「おい、とりあえずここにバグがあるってお客さんに怒られてるから、今日中に直せ!」

 

という罵声がオフィス内で飛び交っているわけです(苦笑

 

お客さんからはクレームの嵐。

「もうあなたの会社には頼みません!」

と言い放ち、そのお客さんは離れていきました。

社内ニートになった僕の末路

そしてなんと、炎上案件の責任は全部、僕に押し付けられました。

普通のプログラミングの仕事は回ってこなくなり、派遣のように、外の会社で働くよう命じられました。

 

もはや自社にいても仕事がないため、お客さん先を転々とするわけです。

 

が、、、そこに行った先では、、、

 

プログラムを書くための設計書が、

「ほぼこれプログラムそのものじゃん」

という感じのものになっており、

誰が書いても同じプログラム」になる設計書をもとに、プログラムを書く作業が始まります。

 

僕の性格上、これは非常につらいものがありました笑

 

「誰が書いても同じなら意味ねぇ!」とw

 

これでは、僕の夢である

「プログラミングを通して世の中を幸せにしたい」

という漠然とした夢もかなうことはないと思いました。

 

すでに「こういうものを作ってね。そしてその作り方はここに書いてあるから、必ずこの通りに作ってね?

と言われてしまうんですから。

 

ただ、まだ社会人歴も数年で浅かったので、

「今はうだうだ文句を言えるスキルもない。」

と考えそれなりに頑張ることにしました。

 

そして、まもなくまた、異動の時がやってきます。

 

僕が設計書通りに作ったプログラムがリリースされる前に、退場となったのです。

 

退場を機会に、僕は上司に文句を言いました。

 

コウイチ
コウイチ

誰が書いても同じですよ。あれ。
もう少しクリエイティブに、こんなサービスが作りたい!っていうのを形にできるっていうか、
ようするに、せめて色々な意見を出し合ってみんなで一つのものを作り上げていくような仕事がしたいんですが

 

 

上司
上司

んー、そうは言うけどねコウイチ君。あれがこの業界のスタンダードなんだよ。
プログラマーは、ただ何も考えず、用意された設計書通りにプログラムを書けばいいの。
設計書が合っているという保証の元、プログラミングしてるんだからね。
プログラミング工程で意見が出るってことは、それより前の設計書作成の工程がダメだったってことになっちゃうよ。
それはいかんだろ?

 

そうか、これが現実なのか。

 

プログラミングがしたいけど、こんなものが作りたいと発言する権利はないのか。

 

確かに、言われていることは理にかなっていました。

 

IT業界を経験してみてわかりましたけど、これがシステム開発を行う上で、本来のあり方なのです。

 

でも、僕がやりたいことと違う…

 

腑に落ちないままずるずると、つまんないシステム開発の現場を転々とすることになります。

プログラミングをしないプログラマー

さて、そんな会社員生活を続けていたころ、

今回もまた、現場の異動を命じられます。

 

が、、、

 

今度の現場はなんと、プログラムを全くやらせてもらえませんでした。

 

テスト工程、つまりバグを発見する仕事と言えるでしょうか。

 

すでに出来上がっているシステムが、仕様通りに動いているかチェックする。

 

「おお、このシステムが実用化されたらほんと、世の中明るくなるよな…!」

と思えるようなものだったら、違ったかもしれません。

 

でもそうではなかったので、クリエイティブな仕事がしたい僕にとっては、苦痛でしかありませんでした。

 

ついに我慢の限界に差し掛かった僕は、ある行動を起こします…。

 

まずは上司に電話

コウイチ
コウイチ

もしもし。あの、ちょっとご相談が・・・

上司
上司

ん?

コウイチ
コウイチ

今の現場、プログラムが打てないんですよね。

上司
上司

嗚呼。前にも言ってたね。確かに、コウイチ君はプログラムを組むことが得意で、それをずっとやっていきたいとは聞いてるけど、大人の事情ってものもあるじゃん?

コウイチ
コウイチ

はい

上司
上司

そこの案件、めっちゃ規模がデカいのよ。だからうまいことすれば、そこがらみでたくさん案件を引っ張ってこれそうなの。
だからコウイチ君がそこで頑張って我が社のリーダーとして活躍してくれれば、みんなが幸せなんだよ

コウイチ
コウイチ

そうなんですね。うーん、それも分かります。

でも、あの、ちょっと通勤が往復4時間というのもありまして…

上司
上司

んー、それは頑張ってとしか

コウイチ
コウイチ

は、はい。じゃあもう少し頑張ります・・・失礼します

上司
上司

おう

 

 

やはりオトナの事情というものもあって、社員の個人的な精神状態とかやりたいこととか、

そういうことを言ってられない状況にまで追い込まれているのが、僕が勤めていた会社だったのです。
(←毎年赤字でもうパニック状態でした)

コレで給料、いくらだと思います?

仕事は始発出勤、終電帰り、休日出勤は当たり前。

これで給料いくらだと思います?

月の手取りで15万でした。

 

これ、残業代込です。

この会社は定額残業手当というシステムを採用していて、一定時間まではいくら残業しても残業代は増えないという鬼畜な給料体系だったんです。

何せ、鬼のように働いては体調を崩し、欠勤を繰り返してたので、結局残業代など稼げるはずもなく。

 

ボーナスも出るは出るものの、雀の涙(数万円)程度。

給料の2ヶ月分なんて夢のまた夢です。

 

他の会社に勤めてる友人のボーナスの額を聞いて、僕は恥ずかしくて自分の額を言えませんでした。

会社でできないなら、スマホでやります

給料も給料で大問題だったんですが、それ以上に自分の好きなプログラミングがやれないことが苦痛でした。

 

そして、プログラミングがさせてもらえなかった僕は、会社の休み時間と通勤電車の中で、スマホに専用アプリをインストールし、スマホでプログラミングをするようになっていました。

 

基本は家に帰ってからパソコンに向かいたいのですが、家に帰ったら日付が変わっているのでもう、外でスマホを使うしかなかったのです笑

 

昼休みにご飯を食べることがいけないことであるかのように皆、休み返上でパソコンをにらんでたので、昼休みにそんなことをしている人は皆無で、もしバレていたら異常な目で見られていたでしょう。

 

ある意味僕も、休み時間返上でスマホでプログラミングしているわけですから、同じですかね笑

 

プログラミングはもともと趣味であり、それを仕事にしてもなお、嫌いにならないこれは、もう一生これで食っていけるという確信はすでにありました。

 

しかし正直これ以上、プログラミングがやれないストレスを抱えながら会社で働く意味はないので、辞める準備を進めていくことになります。

歩くより先にキーボードを叩いていた

と言うのは嘘ですが、それくらいの勢いでプログラミングが大好きでした。

だから作りたいものを作りたいわけです。

 

思い起こせば僕は中学生のころから、そういうことをしていました。

略歴にもちらっと書いてますが、趣味でゲームの攻略サイトを作ってたんですね。

 

それも、適当に攻略ページを作って放置しておくような、ただの自己満足に飽き足らず、ユーザー参加型のタイムトライアルのタイムを競うランキングサイトを作ってみたり、そこから発展していつの間にか、オフ会を開いてリアルで会い、ゲームのファンコミュニティが僕中心となって出来上がったりしたのです。

 

そこでは、インターネットが発達しなければ実現し得なかった、

「マイナーな趣味を持った人たちを繋ぐコミュニティを作り、共通の趣味を持った友達を作れる場を提供する」

そんなビジョンが出来上がり、学生のころは夢中になっていたものです(今でもこっそり運営中)。

 

「もっとそういう、こんなサービスがあったら世の中明るくなるよな…?っていうような、ワクワクするものを作りたい。

やっぱりこっちだ。こっちを仕事にしたい」

 

そういう思いは、ずっと僕の中に根強く生きていました。

すれ違う価値観

話は戻りますが、会社で現場を転々とする中で徐々に見え始めたのが、職場の人達との価値観の違いでした。

  • 休日はやることがない
  • 彼女はできないと諦めている。
  • 仕事終わりや休日に彼女や友人と遊んだりすることが理解してもらえず、「どうして土日に予定を入れるのですか?」と真面目に怒られる。
  • 30連勤を自慢する。

このような環境に置かれた僕は、毎日耐え切れないほどに病んでいきました。

自分が大切にしている価値観を共有できないというのは、つらいものがあります。

ビジネスパートナーとの出会い

そんなことばかり考えていると、現実がそれに引き寄せられるんでしょうか。

ちょうど、知り合った僕の友人とビジネスについて話すようになっていました。

その友人はプログラマーを欲していて、気づいたら僕は猛アピールをしていました。

 

コウイチ
コウイチ

衣食住よりプログラミングですよね。何時間でもパソコンの前に居られます!!

という謎のアピールをしたところ、

友人
友人

じゃあこんなシステムを作ってもらえない?売上は折半するから!

 

どんなものかは企業秘密なのですが、

既存の常識に縛られない、斬新で人のためになる、とてもワクワクするような企画でした。

しかも、互いに意見を出し合って、一つのサービスを世に出していく。

こんな楽しいことはないなと思いました。

そんなこんなで副収入が本格的に入り始め、

安い給料で奨学金を払うために生きているような生活から抜け出す、第一歩となりました。

副業の方が楽しくなったことで会社に行くのがますますつらくなるw

段々と、「仕事したいのに会社に行かなければならない

という謎のジレンマに苦しみました。

  • 副業が楽しいから、会社に行くのがつらくて鬱になる(病院に行くのを思いとどまったが実際やばかった)
  • 会社に行くのは楽しいと言い聞かせたら、少し精神的にラクになるけど、作り笑いで残業してしまい、副業する時間がなくなり・・・

こんな感じでだいぶ苦しみました。

生きていくにはお金が必要。だから、苦しい期間は仕方ないと割り切り、なんとか毎日生きていました。

 

会社をやめると生活できなくなるから、やめられない。

 

しかしそんな中・・・

思いは繋がり、プログラマーとして僕は友人と組むことに決まりました。

上司に辞めたいと告げた結果

「よし、これで今の会社を辞めても生活できる!」

そう目途が立った瞬間に、退職の決意が固まりました。

 

上司に時間をもらい、その旨を話しました。

 

コウイチ
コウイチ

お話があります。会社を退職させていただきたいです。

上司
上司

何故だ?

コウイチ
コウイチ

やりたいことができたんです。もっとがっつりと、プログラミングがやりたいんです。

上司
上司

・・・そうか。やりたいことがあって辞めるのなら、止めることはできない。

 

少し渋られましたが、すんなりと、退職を認めてもらえました。

話を切り出すときは多少緊張しましたが、決意は固いものだったので淡々と意思を伝え、その後も後悔が全く襲ってきませんでした。

 

ここで、ああこれが僕の本心なんだ、と気付きました

精神を病んだブラック社畜生活は、ここで終わりを告げることとなりました。

仕事は土日に遊ぶ金を稼ぐためのものではない

僕も昔は、一週間に一度やってくる土日を楽しみに、平日の仕事を耐え忍ぶもの、と考えてきました。

 

しかし僕は今、趣味でゲームのファンコミュニティを作っていた頃のように、サイト作成やアプリ製作に携わり、ワクワクしながら仕事をしています。

 

ゲーム製作等の娯楽のためのプログラミングも楽しいですが、時間短縮のためのツールを作って本来やりたかったことをやる時間を手に入れる、みたいなことにプログラミングの知識を生かすのが好きですね。

 

なので最近では、休日のために働くのではなく、平日も休日も、毎日を楽しく過ごしています。

 

僕は仕事だけでなく、趣味や恋人、友人との時間を大切にしたいので、社畜時代の価値観を絶つことができてホッとしています。

仕事が楽しくても、仕事以外をシャットアウトされては意味がないですからね。

自分に正直になるために・・・

もしあなたが、

  • 日曜日の夜になると憂鬱で吐き気がする。
  • 月曜日に「あと5日もある。耐えられる気がしない」と死にたくなる。
  • 残業が嫌だ。毎日終電が当たり前のこの人達は、何が生きがいなのだろう?
  • 土日は疲れていて寝るだけ
  • 給料が安すぎて、奨学金を返すために生きてるみたいだ
  • 彼女ほしいけど、会社に行って家帰って寝てるだけだから、出会う女の子に何話せばいいかわからない

こんなことを考えているのであれば(全部過去の僕ですw)、

本気で転職や独立の道を考え始めるといいです。

時間は待ってくれません。

 

今つらくて、今後もつらい状況が続くと本当は気づいているのなら、

 

「今すぐ行動を起こしましょう」

 

鬱になったり、鬱になりかけているほどつらいなら、体が発するSOSです。

 

もし転職して失敗したらどうしよう

転職しない方がよかったと、ならないだろうか・・・

 

そう心配するのであれば、

鬱になるほどつらい状況を、諦めるしかなくなってしまいます・・・

 

 

あなたは今、仕事がつらかったとしても、「やりがい」はありますか?

 

「自分は他人の役に立っている」と思えることが、幸せにつながるといわれています。

 

僕のいた会社は

  • 最下層工程の、誰でもできる作業者のような状態で、誰の役に立っているかわからない。
  • 人として扱われず、奴隷のように働く虚しさの上に成り立つ価値なんて、ホントの価値ではないんじゃないか

こんな感じでした。誰かの役に立てて嬉しいとか、そういうことを感じられるレベルではなかったわけです。

 

そして、だからこそ、仕事とは何か?人生とは何か?というところまで、深く考える機会に恵まれ、職を変えるという決断にまで至ることができました。

 

僕は、同じような状況に苦しんでいるたちが、何か行動の第一歩を踏み出すきっかけになればと、このブログを書いています。

 

どうせだったら、

「俺はこんなことがやりたいんだ!」

と、月曜日の朝に飛び起きるくらいの情熱で、仕事したいと思っています。

 

転職失敗したって死にません。

今つらいなら、今、人生を楽しみましょう!

コメント

  1. エンマ大王 より:

    頑張って!自分を信じて行けばいつか報いは来るから!(お金もってのは嘘!)情報弱者で就職した社畜プログラマーの末路なんて言わないで。kouiti様は情報弱者じゃないから。

  2. 院生 より:

    未経験でwebプログラマになろうとしてる者です。
    素晴らしい記事を書いてくださりありがとうございました。
    Kouiti様は情弱ではありません。

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